5月14日付 沖縄復帰40年 基地の負担を減らさねば
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沖縄はあす、本土復帰から40年を迎える。
太平洋戦争で多くの住民が犠牲となり、戦後長らく米軍統治下に置かれた沖縄は、本土復帰を求める県民運動を経て1972年5月15日、念願を果たした。
しかし、米軍基地の返還は本土並みには進まず、全国の米軍専用施設の74%が集中する状況にあえいでいる。
沖縄振興策も大きな成果を挙げたとは言い難く、経済的な自立に向けて今も苦悶(くもん)が続いている。
こうした沖縄の現状は、日米同盟の負担を小さな島に押しつけてきた日本の姿を映し出しているといえるだろう。40年の節目に当たり、復帰の原点に立ち返って考えてみたい。
米軍基地の返還で最大の焦点になっているのは、言うまでもなく宜野湾市の普天間飛行場である。
日米両政府は名護市辺野古への移設を決めていたが、先月発表した在日米軍再編見直しに関する共同文書で辺野古以外も検討するとした。
辺野古移設や再浮上した嘉手納基地への統合案には、地元をはじめ県民の強い反対がある。共同文書で混迷が深まった形だが、世界一危険とされる普天間飛行場の固定化は何としても避けなければならない。
仲井真弘多(なかいまひろかず)知事は沖縄の基地負担について「政府は今後の10年で公平にしてほしい」とした上で、「ほかの県でも受け持つべきだと強く思う」と述べている。この言葉を重く受け止めることが大切だ。
他の基地の返還も急がれるが、遅々として進んでいない。背景には、沖縄を「太平洋の要石」と位置付ける米国の軍事戦略がある。近年は中国の台頭をにらみ、重要性が一層高まっているともいわれる。
だが、現状を放置しておくわけにはいかない。米軍基地関係の収入は復帰直後、県民総所得の16%を占めていたが、現在は5%前後と低くなっている。基地の跡地利用の仕方によっては経済の活性化も期待できる。日本政府は、早期返還の方策を見いだせるよう米国と協議してもらいたい。
米軍人・軍属の法的地位を定める日米地位協定の見直しも不十分なままだ。殺人など凶悪犯罪は起訴前でも身柄引き渡しが可能になったが、ひき逃げ死亡事件には適用されていない。早急に改める必要がある。
「本土との格差是正」を掲げた沖縄振興計画は、4次にわたって計約10兆円がつぎ込まれた。その結果、道路などのインフラ整備は進んだものの、1人当たりの県民所得は全国平均の7割程度にとどまっている。公共事業への依存が高く、自立した経済の育成が遅れているためだ。
政府は第5次計画の基本方針として「アジア・太平洋地域の発展に寄与する拠点」を目指すとした。アジアに近い優位性を生かし、国際物流や観光産業を促進する狙いだ。
これを受けて、県は具体的な計画を作る。従来は政府が計画を策定してきたが、ほとんど活用されていない優遇税制や特区もみられた。地域の実情を踏まえ、実効性のある計画へ知恵を絞ってほしい。
沖縄が本土復帰を求めたのは、基地のない暮らしや経済的な自立を望んだからだといわれる。それに少しでも近づくように願いたい。