終戦記念日 貧しすぎる政治の言葉

 

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猛暑となった今年の夏も、終戦記念日がめぐってきた。あれから68年。この国は、今もって戦後を乗り切れていない。昨年に続き、そう思わざるをえない重苦しい夏になった。

 

1年前の終戦記念日を前に、韓国の李明博大統領(当時)が突然、竹島に上陸した。終戦記念のその日には、日本の尖閣諸島国有化方針などに反発し、香港の抗議団体メンバーらが魚釣島に上陸して逮捕騒ぎとなった。これらの島々をめぐる隣国との問題が一挙に噴き出した。そんな昨夏だった。以来1年、中国・韓国との関係はともに依然、改善の糸口が見つからない。いずれも過去最悪とまでいわれるほどに冷え込んだ。

 

日中双方で行われた世論調査では、両国市民の9割以上が互いに相手国に対し「良くない印象」を持っていると答えた。調査開始の2005年以降最悪だ。しかも、中国では5割以上が日本と軍事紛争が起きると思うと答えている。

 

日本では、在日韓国・朝鮮人らに対し激しい憎悪の言葉を投げつけるヘイトスピーチが社会問題化している。政治・外交と社会の間で、悪循環が1年間続いてきた。

 

その背景の一端は、主に歴史認識をめぐる日本の政治家の無責任な発言だ。この国の政治の言葉はなんと軽いのか。なんと貧しいのか。そう感じる最近だ。こうした時代だからこそ、政治の言葉が大切だ。深い歴史認識が必要だ。政治家はしっかり自覚してほしい。

 

憲法改正に絡み、麻生太郎副総理兼財務相は戦前ドイツのナチス政権を引き合いに出して「手口に学んだらどうか」と述べた。言語道断だ。文脈からはウケ狙いの発言とも見られる。だが、欧米主要国なら政治生命が終わってもおかしくない。

 

日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長は従軍慰安婦を「必要だった」と語った。米軍に風俗業者活用を求めた。これも、いかに発言の前後に留保条件が付いていようと、まともな国では通用しない。

 

1995年の戦後50年にあたってアジア諸国への侵略と植民地支配を謝罪した村山富市首相談話について、安倍晋三首相は「そのまま継承しているわけではない」と言った。後に「基本的に継承する」と言い直したり、「侵略」の定義は歴史家に委ねたいと言ったりして、近隣諸国に不必要な刺激を与えた。

 

政治や外交は、過去から続く言葉の蓄積の上に築かれる。過去の声明や宣言が、簡単に取り消されてしまうようなら成り立たない。政治や外交の言葉が異様に軽く、そんなことが簡単に起きるような国こそ「普通の国」ではない。

 

この1年、尖閣諸島や竹島をめぐる問題の上に、政治家の言葉の軽さが重なり、深刻な歴史認識問題となって、日本と中韓の関係は改善されずに悪化の一途をたどった。もちろん、中国や韓国のナショナリズムの高まりにも責任がある。それは確かだ。だからこそ、両国のナショナリズムを不用意に刺激しない、賢い政治の言葉が、成熟国家である日本の政治家に求められる。

 

小説家丸谷才一は、日本の政治の言葉が貧しいのは「語りかける相手を持っていない。聞き手と自分の間に知的交流がない程度の低い交流しかない」からだと見た。

 

国民の側も心したい。(2013815)