危機管理に不可欠な「人、カネ、リーダーシップ」
政治部 五十嵐文
東日本大震災の2日前の3月9日、1人の米国人が日本に「警告」を発していた。
レオ・ボスナー氏。米連邦緊急事態管理庁(FEMA)の元危機管理専門官だ。横浜市での講演で、ボスナー氏は危機管理を成功させるには「適切な職員数」「十分な予算」「強いリーダーシップ」の3つが必要だと言い、こう締めくくった。
「アメリカでも日本でも時々ひどい災害が起こる。私の講演が役に立てばいいのだが……」
ボスナー氏の忠告は、FEMAでの苦い経験に基づくものだ。
2005年8月、米南部を超大型ハリケーン「カトリーナ」が襲った。ボスナー氏ら専門家の警告にもかかわらずFEMAなど米連邦政府の初動は遅れ、1000人以上の死者を出した。当時、米国で取材していた私は、日本で危機管理組織の「手本」のように言われていたFEMAが袋だたきに遭うのを見て、ショックを受けた。
だが、ボスナー氏の話を聞けば、FEMAは失敗すべくして失敗したのだ、と納得できる。
01年の9・11テロ以降、当時のブッシュ大統領は自然災害よりテロ攻撃への対応に予算と人材を振り向け、FEMAは新設された国家安全保障省の下部組織に格下げされた。FEMA長官には、大統領選でブッシュ陣営幹部だった人物のツテで弁護士が就任。ほかの幹部ポストも、災害専門家から、選挙戦の「論功行賞」で起用されたテレビ記者や遊説担当ら「素人」に取って代わった。
職員の訓練は減らされ、専門性を無視した異動に反発した洪水やハリケーンの専門家が次々とオフィスを去ったが補充人事は行われず、多くの部署で責任者不在となったところへ、カトリーナがやってきた。
ボスナー氏は、こうも語っている。
「テロ攻撃、自然災害と、計画を過度に分けるのは大きな間違い」。あらゆるタイプの災害に対応する「オール・ハザード(AllーHazards)」の取り組みが必要だという。確かに、職員ですら理解できない細分化された計画が、危機の時に役に立つとは思えない。
ひるがえって、東日本震災に直面した菅政権の危機対応はどうか。原子力発電所事故など危機はなお「進行形」で、判定を下すのは早すぎるとは思いつつ、気にかかる。
そもそも日本には、FEMAにあたる組織が見あたらない。民主党は2009年衆院選の政権公約(マニフェスト)で、日本版FEMAともいうべき「危機管理庁」(仮称)の設立を約束したが、政権を獲得してから腰を据えて議論した様子もない。
代わって政府は震災後、「緊急災害対策本部」「原子力災害対策本部」等々、省庁横断の組織を次々と発足させたが、評判はすこぶる悪い。「対策本部の『対策』続きで疲れる」「ときどき自分が何の会議に出ているかさえ、わからなくなる」。原発事故や被災者支援の実務を担う官僚の本音に接し、背筋が寒くなる思いだ。
「人」「カネ」「リーダーシップ」のうち、ボスナー氏が一番大事だと信じるのがリーダーシップだ。1990年代にFEMA改革に取り組んだウイット長官は就任初日に庁舎入り口で職員を出迎え、半年かけて職員と面会を重ねて問題のありかを探り、信頼関係を築いたという。一方、日本の首相は時と場所を選ばない「どなり声」で、有能でやる気のある官僚を首相官邸から遠ざけている。
「震災が政権交代前か、もう少し後だったらどうだったかと、思ってしまう」
ボスナー氏を講師に招いた神奈川大学法学部教授で元総務省消防庁防災課長の務台俊介氏は、こう話す。
実はボスナー氏は、震災当日の11日には官邸でも講演する予定だったが、その直前にボスナー氏の都合で取りやめとなった。
もし実現していたら、ボスナー氏の言葉は、菅首相にも伝わったかもしれない。残念だ。
(2011年4月11日 読売新聞)