民衆革命が見据える壁 週のはじめに考える
2011年2月13日
エジプトの民衆革命はムバラク独裁体制崩壊の先に何を見据えているのでしょうか。その帰趨(きすう)はグローバル社会が模索する新国際秩序も左右しそうです。
国のかたちが変わる局面です。安易な比較は慎むべきですが、いまだ帰趨定まらないエジプトの民衆革命を見る国際社会の目には、どうしても二つの革命の残像が重なります。欧州に民主化のドミノ現象を起こした東欧革命。そして、イスラム原理主義を掲げたイラン革命です。
エジプトのネット革命
「この革命はインターネットがもたらしたもの。命名するなら革命2・0でしょう」。デモ発生後拘束されたグーグル現地スタッフのゴニム氏の言葉です。ゴニム氏は、チュニジア革命直後から民衆蜂起を支援するサイトを立ち上げ、当局のサイバー監視網をかいくぐりながら情報ネットワークを形成していったといいます。
タハリール広場での革命劇と並行して、独裁政権下で鬱積(うっせき)した民衆の怒りを結集した広範なネット上の若い世代の輪が広がっていたことを物語っています。
東欧革命では衛星テレビが、イラン革命ではカセットテープが同様の役割を担ったとされます。
イランの最高指導者ハメネイ師は、今回の民衆革命をイスラム革命の波及だとし、「イスラムの覚醒」を訴えていますが、二年前の大統領選挙に際して起きたネットによる体制批判の大衆運動に対しては厳しい規制で臨んでいます。グローバルな情報共有が時代の流れだとすれば、今後大きな逆風に晒(さら)されるでしょう。
東欧民主化の象徴ともいえるベルリンの壁崩壊では、月曜日ごとに旧東独ライプチヒの教会周辺で行われた市民集会が大きな役割を果たしました。今回の中東民衆革命は回を重ねるごとに規模を拡大した金曜礼拝が十八日間の集会継続の大きな支えとなりました。
グローバル化の新たな壁
ともに民衆自ら民主化を求めながら、一方ではキリスト教、他方ではイスラム教の伝統が基層を成している点で、根本的な違いも際立たせています。
東欧革命によって資本主義と共産主義が対峙(たいじ)した東西の壁は崩壊しました。しかし、続いて国際的潮流となったグローバル化のなかで、新たな見えざる壁が世界の分断を先鋭化させています。経済に見られる南北格差と反欧米主義を唱えるイスラム原理主義の広がりはその最たるものでしょう。エジプトの民衆革命には、その両方が投影されています。
米国のバーナード・ルイス元プリンストン大学教授は、テロを論じた著書のなかで、アラブ諸国・地域の国内総生産(GDP)の総計が、欧州中堅国一国の規模にも満たなかった米中枢同時テロ当時のデータを引いています。
チュニジア革命後に緊急招集されたアラブ連盟首脳会議で、経済成長の必要性が問われ、一層の生活水準向上に取り組むことで合意したのはその危機感の表れです。エジプト政府が官民の賃金アップなどを打ち出したように、周辺諸国も対応策を模索し始めていますが、弥縫策(びほうさく)では何の解決にもならないことはもはや明らかです。
オバマ米大統領は声明の中で、ベルリンの壁にも言及しながらエジプト人の非暴力的な民主化への変革を称賛しましたが、中東地域の独裁政権を支持し続けてきた欧米社会に対しては根深い反感、憎悪があることも忘れてはなりません。
ルイス元教授は、「イスラムの怒りの根源」と題した別の論考で一神教をめぐる宗教的背景を大前提としながら、アラブを中心とするイスラム圏の反米思想の系譜を辿(たど)っています。ナチスの反米思想、ソ連東欧の社会主義、戦後の第三世界論の流れを経て、詰まるところその源泉は「西欧の世俗主義と近代化の二つ」に帰する、というのです。
いずれも、イスラム過激派からは邪悪で否定されるべきものとされます。エジプト最大の野党勢力であるムスリム同胞団が、この反米の流れを背負いながら、民主化プロセスに参加してゆけるのか。中東最大の不安定要因である対イスラエル問題も絡み今後の中東民主化の大きな鍵となるでしょう。
世俗社会との共存モデル
ムスリム同胞団創始者アルバンナーの孫に当たるオックスフォード大学のタリク・ラマダン教授(イスラム学)は、最近の英字紙で「現在の同胞団は多様化しており、若い世代は開放、改革的でトルコなどの例を肯定的にとらえ始めている」と述べています。
エジプトの民衆革命が帰すべきところは、エジプト人自身が決めるほかありません。テロを放棄し、欧米世俗社会と共存するアラブの民主的国家モデルを築くことができるのか。世界が第二幕に入った革命を見守っています。