社説:東日本大震災 救助、救援に力を尽くせ
未曽有の大地震が11日、東北地方を中心に東日本のほぼ全域を襲った。国内観測史上最大のマグニチュード8・8。突き上げるような衝撃の後、揺れは次第に大きくなった。揺れの激しさも、揺れの長さも、想像を絶するものだった。
だが真の恐怖は本震やその後も間断なく続いた余震の後からやってきた。場所によっては最大10メートルを超えた太平洋側の大津波だ。海岸沿いの集落を一気にのみ込み、川を逆流して海から離れた市街地へも流れ込み、人的被害を拡大させた。
犠牲になった人たちの冥福を心からお祈りしたい。国や関係機関に望むのは、被災地に取り残された人たちの一刻も早い救出と、行方不明になっている人たちの捜索だ。不安に押しつぶされそうになっている家族たちのために力を尽くしてほしい。
地震発生は午後2時46分ごろだった。震源は宮城県牡鹿半島沖。同県北部の栗原市で震度7を記録したのをはじめ、本県でも秋田市と大仙市で震度5強を観測した。
時間の経過とともに甚大な被害であることが分かってきた。仙台市若林区の津波浸水地域では200〜300の遺体が見つかった。岩手県の陸前高田市は8割以上が水没し、宮城県女川町のように町全体が壊滅状態になった所もある。緊急災害対策本部を立ち上げた政府は千人以上が命を落としたとみている。
水没した市街地や破壊された家屋が広がる被災地の様子からは、大津波の威力がうかがえる。天災地変の前に人類はこれほどまでに無力なのかと、あらためて思い知らされた。東京電力福島第1原発では地震の影響で炉心溶融が起き、半径20キロ圏の住民に避難指示が出された。
本県では転倒によるけが人や、建物倒壊などが確認されたが、生活を直撃したのは電気や水道といったライフラインの寸断だ。停電は地震発生後から全域で続き、一部では断水も重なった。停電で24時間以上も暖房がない中で過ごした人が多いはずだ。3月とはいえまだ冬の寒さ。闇と冷えの二重苦の中で余震の恐怖と向き合うのはつらいことだ。
携帯電話もつながりにくくなった。身内や知人が被災地周辺に居住したり滞在しているのに、安否確認ができないもどかしさは想像に難くない。災害時の通信途絶は心細さを倍加させる。情報化時代にあって、通信の安定確保は喫緊の課題である。
大地震に誘発されたとみられる地震や余震は12日も続いた。今後も大きな揺れや津波が襲ってくる可能性がある。落ち着いて行動することが大事だ。特に津波に対する警戒は怠れない。揺れたら海岸から離れ、高台へ避難してほしい。土砂崩れや雪崩の危険がないかも気をつけたい。
こうした状況下では住民同士の助け合いは欠かせない。お年寄り世帯へは積極的に声を掛け、不安を和らげてあげたい。米国や韓国、そして震災に遭ったばかりのニュージーランドなどから、日本に援助や支援の手が差し伸べられている。被災地では互助が復興への何よりの支えだ。
本県の被害は岩手、宮城などに比べれば軽微である。足元の復旧を急ぎつつ、東北に住む仲間たちに手を差し伸べたい。被災者たちの心のサポート、水や食料などの物資の援助、そして復興の手伝い。できることは多い。災害現場に希望の明かりをともすのは隣人としての務めだ。
(2011/03/13 17:09 更新)